【掌編】gray promenade

【掌編】gray promenade

お題:無慈悲な人


 灰色は、嫉妬の色らしい。

 空は梅雨らしく陰鬱な雲を広げ、太陽の光を閉じ込めて仄暗く輝いている。今にも雨が降り出しそうだが、悲しみを避ける為の傘さえも、僕は持っていない。
 二人でよく散歩をした遊歩道を、いつもよりも少し距離を開けて歩いた。道の両端には紫陽花がそこかしこに咲いて、僕たちの最後の散歩を無慈悲に華やげている。
 10メートル程前を歩く冬彦は、無関心なフリをしながら、僕たちに歩調を合わせている。親友だと――思っていたのに。

 ふと、隣で俯くだけだった美春が、囁くような声で言った。
「今まで、ありがとう」
 それは、最後の答え。決定的な決別。
「……え?」
 本当は聞こえていたけど、相応しい返答が思いつかなかった僕は、聞こえなかったフリをした。
 彼女は走り出し、前を歩くあいつの隣に並んだ。二人は振り返らずに歩き続ける。僕はもう、前へ進めない。
 最後に優しさなんて見せるなよ。お礼なんて言うなよ。切り捨てるならもっと残酷にしてくれよ。

 慈悲?
 そんなもの、ここにいる誰も持ち合わせていない。
 僕だって美春の幸福を強く強く望みながら、嫉妬が刻々と破壊していく心の底では、前を歩く彼らの破局を呪いのように願っている。

 上を向くと、降り出した柔らかい棘の様な霧雨が、ゆっくりと僕の顔を濡らしていく。瞼を閉じると、集まった水滴が頬を伝って流れた。これは涙じゃない。涙じゃない。

 灰色は、嫉妬の色らしい。
 神様。雨を降らせるよりも、鉛の糸でこの瞼を永遠に縫い止めてくれ。

**

 降り出した霧雨に濡れ、足元のコンクリートは次第に色を濃くして行く。傍らの紫陽花が葉に溜まった雨水を零して揺れた。それが涙みたいに、私には思えた。
 後ろで足音が聞こえないから、博秋は立ち止っているのだろう。私達を見ているだろうか。目を閉じているだろうか。俯いているだろうか。空を見上げているだろうか。――思惑は成功したはずなのに、押し潰されそうな程に胸が痛い。走り出して、逃げ出してしまいたい。でもそれはダメだ。
 震える手を体の前で隠していると、隣を歩く冬彦がぽつりと言った。
「本当にこれでいいのかよ。あいつたぶん、泣いてるぞ」
「ッ……、これでいいんだ。こうするしかないんだよ」
 先週、親友の夏穂に呼び出された夜の公園で、泣きながら博秋への想いを伝えられた。ショックだった。横恋慕された事ではなく、無邪気にはしゃいでいた自分が、大切な友達を影でずっと苦しめていた事が。
 来年には博秋と会えなくなる私は、それを告げても彼は温かい心を私に向け続けてくれるだろう事が苦しいくらいに確信できて、それが泣きたいくらいに嬉しくて悲しくて、悩んだ末に、彼を解き放つ事を決めた。
 私だけが我慢すれば、夏穂は博秋とくっついて、皆幸せになるはずなのに、その光景を想像すると胸が引き裂かれるようで、彼の心に私も残りたくて、無慈悲に徹する事が出来なかった。中途半端な決別は、彼に未練しか残さないかもしれない。私は、失敗してしまった。

 空は世界の終わりみたいな雲を広げ、不器用な私たちの胸中を揶揄しているようだった。
 灰色は、嫉妬の色らしい。
 頬から零れ落ちる涙だけが、私の手に温かく沁みた。

**

 霧雨に濡れて後悔に震えながら隣を歩く美春は、家の事情で海を越えた遠くの地に移住するため、その本当の理由を明かさないまま博秋に別れを告げた。いや、それだけじゃないだろう。親友である夏穂が、自分の恋人に想いを寄せていた事に、気付いていたのかもしれない。いつの間にか絡まり合っていた関係を断ち切るため、相談を受けた俺はその偽物の理由として用意された。
 博秋を打ちのめす事で、あいつの心から自分が消滅する事を望んでいるのか、あいつの心に消えない傷として残ろうとしているのか、美春の真意は分からない。が、どちらにせよ――残酷だ。十数年来の親友も、隣で泣きながら歩く彼女への密かな苦しい憧れも、同時に失った男が今隣にいる事を、美春は知らない。
 まあ、いい。丁度いい。もう疲れた。
 彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩きながら深く息を吸い、胸元に溢れる不快な感情を吐き出すと、溜息は六月も終盤だというのに白く濁って、憂鬱な空に向かって立ち消えた。

 いつまでも続くと思っていた四人の関係は、こんなにもあっけなく崩れた。
 それは誰が望んだ訳でもなく、そして誰かが幸せになるでもない。あらゆる行動の原因は、ただ幸せになりたいという希求と、大切な人が幸せであるようにという切実な願いだけなのに。
 三人の溜息だけが湿った灰色の空に立ち昇り、傘も持たない俺達に、無慈悲な雨が降り続けた。

 灰色は、嫉妬の色らしい。

『逢う日、花咲く。』で第25回電撃小説大賞を受賞し、デビュー。著書は他に『明けない夜のフラグメンツ』『世界の終わりとヒマワリとゼファー』『君を、死んでも忘れない』『この星で君と生きるための幾億の理由』『あの日見た流星、君と死ぬための願い』

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