お題:探偵
「くそっ、何でも屋と化してた俺には荷が重いって」
真冬の鋭い月が浮かぶ夜の町外れを、悪態を吐きながら自転車のペダルを漕ぐと、乱れた息が何本もの白い柱となって立ち昇った。
目的の工場が見えてきた辺りで太ももが限界を訴える。呼吸を整えながら自転車を止め、左手の手帳に書き込んだ。
<今現場前に着いた。マジキツイ>
俺の書いた文字のすぐ下に、サラサラと文字が追加される。
<そんな事言わないの。探偵は足が命なんでしょ。ほら、さっさと入って>
「くそっ」
再び悪態を吐きペンライトを点けると、疲労で震える足に鞭打って、闇が口を広げたような工場へ走った。明日は筋肉痛確定だ畜生。
*
華麗なる推理で難事件を颯爽と解決する。そんな探偵は小説の中だけの存在で、現実はそう華々しくはない。持ち込まれる依頼は夫の浮気調査ばかりで、夢を持って始めた俺の探偵事務所も、ただの何でも屋となりつつあった。
だが今回の依頼は、出だしから異彩を放っていた。
<助けて下さい>
愛用の手帳にその文字を見つけた時は飛び上がった。自分で書いた覚えはないし、誰かの悪戯でもない。暫く呆然とした後、試しにその下に返事を書いてみた。
<どうしました?>
するとすぐに続きが書き込まれる。慌てて周りを見ても当然何もない。俺は目を見開いて、手帳に文字が追加される様を眺めた。
<反応遅いよ! ある事件を、貴方の手で解決して下さい。私の指示通りに動けば大丈夫です。次の場所に今すぐ向かって下さい>
……で、今に至ると言う訳だ。どうやら依頼人は俺に事件を解決させたがっており、声での会話は出来ず手帳での筆談だけが連絡手段のようだ。意味が分からない上に報酬の保証もないこの仕事に本気で乗っていいものか未だに分からない……が、
<私の父は、冤罪で捕らわれた人を何人も救った偉大な探偵で、そんな父に憧れて私も探偵を目指しているんです。お願い、協力して下さい>
……こんな事を書かれたら、無下に断る訳にもいかないだろう。
*
立入禁止のテープを跨いで工場内に入り、ライトで足元を照らして進む。先日夜、この工場勤務の男性が刺殺された。警察はすぐ傍で血塗れの包丁を持って倒れていた事務員の女性を逮捕し、取り調べ中である。手帳の言葉によると女性は冤罪で、その無罪を証明して真犯人に繋がる証拠がここに残されているらしい。
「ホントかよ」
声は届かないはずだが、俺のボヤキが想像できたのか、手帳に文字が増えた。
<今私を疑ってるでしょ。いいから早く探して下さい>
溜息をついてライトで辺りを照らすと、手帳の言葉通り小型のショベルカーがあり、近くの床に血の跡と共に、小さな水溜りが乾いたような染みが見えた。スコップ部分を覗くと、底に少量の水が溜まっていた。ライトを口で咥え手帳に報告する。
<水があった>
すぐに返事が来る。
<やっぱり! 犯人は刃物状の氷をショベルに取り付け、遠隔操作で被害者を刺殺したんですよ。で、気絶させておいた女性に血を付けた包丁を握らせて、被害者と争って倒れた様に死体の近くに寝かせる。これで決まりですね!>
<いや、それだと氷の凶器を用意した意味がないだろ。事前に被害者の血の付いた刃物を用意して、女性を眠らせて刃物を握らせ、それを発見して駆け付けた被害者を遠隔で殺り、凶器は暖房を付けて溶かしたんだろう。被害者の行動時間を把握して、事前の健康診断か何かで血を用意できて、ショベルの遠隔操作知識があり、殺害時間にアリバイがあるのに数秒だけトイレとかに行ってる奴がいるんじゃないのか。女性の体から睡眠薬でも検出されれば釈放はすぐだろう>
今度は少し間があいて、返事が来た。
<分かってましたよそんなの!>
*
後日、工場長の逮捕を報じるニュースを見ていると、手帳にお礼の文字が現れた。
<先日はありがとうございました。報酬は以下の場所に用意したので、急いで駆け付けて下さい>
「また走るのかよッ」
息を切らして指定の場所に着くと、そこには俺が先日冤罪を払拭した女性が、微笑みながら佇んでいた。女性は深々とお辞儀をした。
「助けて頂いたお礼をしていなかったので。あの、これから少しお時間よろしいでしょうか?」
唖然としていると、手帳にサラサラと文字が書き込まれる。それを見て数秒間停止した後、俺はようやく驚愕した。
「……はあ!?」
視線を上げると、俺の声に驚いたのか女性が目を丸くしている。その様子が無性に可愛く見えてしまった。
参ったな、俺はこれからこの人と仲を深めつつ、手帳を相棒にして冤罪被害者を何人も救わなきゃならないらしいぞ。
手帳の最新の文字はこうだ。
<それじゃ、お母さん共々これからよろしくね、16年前のお父さん>