お題:再会
人類が未知のウィルスにより死滅してから、もう五十年が経つ。
科学者であった夫が作った私の義体は、必要な熱量の摂取さえ怠らなければ問題なく稼働し続けていた。彼の最期の贈り物――今も胸部ドライブで回転を続ける思考ユニットが、無機物である私を、彼の妻であった私という人間に保ち続けている。
でも、それももう、限界に近い。
体は問題ない。自己修復の素材により老朽化の傾向も見せず、自宅の鏡は二十代の女性の体を映す。彼が私をいかに愛してくれていたか、私を喪った事をどれだけ嘆いてくれたか、この体を作る事にどれだけの苦慮と妄執を注いだのかを思う度、ありもしない心臓が締め付けられる心地になる。
今の私を苦しめるものは、この、私自身の「心」だ。
私は震える程に独りだった。心を取り除いてしまえば、これ程苦しくはないだろう。体の維持を放棄すれば、私も永遠に眠れるのだろう。でもそれは、彼の願いを裏切る事のように思え、どうしても出来なかった。それは、愛という名を持つ呪いだ。
だから私は、彼を“造った”。
「おはよう、あなた。気分はどう?」
作業台で目を開けた彼は、暫し茫然としていた。数度の瞬きの後、ゆっくりと顔の前に動かした自らの手を眺めた。
「これは……君が造ったのか?」
彼の口が滑らかに音を発し、その後に黒い瞳が私を見上げる。
懐かしい、愛しい声。思考ユニットの熱暴走を抑え切れなくなった私は、彼の胸元にしがみ付き顔を埋め、潤滑油の涙を流した。
◆
「そうか、僕が君を造った時の設計図を参考にして」
「ええ……」
私達は草原の丘の上、彼の本当の体が下に眠る十字架の傍に立っていた。その隣には、黒猫の小さな墓もある。ここからは、緑の蔦に抱かれる朽ちた街や、私が釣りで食糧を採っていた青い海も見渡せる。空は静かに晴れ渡り、優しい風が草原を撫でていた。
「やはり、人間はもういないんだな?」
「そうね」
私の言葉を聞き、彼は少し俯いた。彼をこの孤独な世界に蘇らせたのは、私の愛でもあり、微かな復讐でもある。
「実は、あのウィルスを生み出したのは、僕なんだ」
呟くように言う彼に、私は表情を変えずに静かに答える。
「そうじゃないかと思った」
「……そうか」
彼は静かに膝を折り、両手と額を若草の揺れる草原に押し付けた。
「僕はただ、君や人々を蝕む病を癒したかっただけなんだ。それが、どうしてこんな事にっ……」
許してくれと何度も叫びながら、彼は吠えるように泣き続けた。何時間も、何時間も。かつて、彼に取り残された私が、ここでそうしたように。
私の小さな復讐はこれで終わる。あとは、愛とさよならだけが、ここに残る。
◆
存在というものは、それを認識する存在があるから存在し得る、という話を聞いた事がある。
誰にも認識される事のない存在は、存在していない事と等しい、と。
空は夕焼けの鮮やかな茜。永遠にも似た広さで、草原に仰向けになる私達を見下ろしている。彼は泣き止み、ただ無言で空を見上げていた。私の右手には彼の左手が繋がれていて、それはとても暖かい。私が病に伏す前は、よくこうして手を繋いで、色んな所を散歩した。
「君に心を与える事に躊躇ったのは、君の孤独を恐れたからというのもある」
「うん」
「僕自身の義体化も考えたが、重要な素材が絶望的に足りなかった」
「……うん」
彼は右手を上げ、夕陽の燃える空にかざした。すぐにそれは脆い音と共に崩れ、草原に落ちる。
「それは維持を司る機能だ。僕の体は、持ってあと数時間か」
「やっぱり、分かるのね」
「それでも君が僕を造ったという事は……」
「あなたには、とても感謝しているわ」
私は上体を起こし、彼に覆いかぶさる程の近くで、彼を見下ろす。
「僕はただ、君に生きていて欲しかったんだ」
震える声でそう言う彼は、夕日が映る涙を浮かべていた。
思えば私は、深く愛されていた。ずっと愛されていた。
「もう十分生きたわ。だから次はあなたの意思で、終わらせて」
結んでいた手を離し、彼の首に這わせる。彼も残された左手を私の首に回し、活動停止ボタンのある小さなハッチを開けた。
「君に何もしてあげられなかっ――」
彼の言葉を、口づけで止める。
「愛してくれたわ」
ずっとさよならを言いたかった。でも最期に伝えたい言葉は、それではなかった。
「ありがとう」
再び唇を重ね、彼の首のボタンを押し込む。同時に私の停止ボタンも押された。
心を生み出す胸のディスクが回転を緩めて行く。
意識が揺らぎ、遠のく。ようやく、眠れる。彼の、腕の中で。
世界は他者の認識を失う。私と共に、世界が終わる。
それは悲しい事ではなく、愛の中で優しい眠りにつくのだ。
そしていつか新たな生命が繁栄し、世界は生まれ変わるだろう。
その時発見される、抱き合ったまま眠る私達に、
愛を見出してくれ
ると
うれし
い