【日記】虫が苦手な理由、の話

【日記】虫が苦手な理由、の話

明けましておめでとうございます。

なんと、2024年最初のブログが、一年の折り返し点も過ぎた7月になってしまいました。

まあこのブログは青海野の完全個人運営だし、サボリまくったとしても誰にも迷惑はかけないのでいいんですが、あまりにも放置してるとせっかく作った意味がないので、久しぶりに書いてみます。

で、話はタイトルの件になるのですが…

グロいわけじゃないんですが虫関係の話が大丈夫な人だけ読んでください…

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暑い暑い夏が来てしまって、最近キッチン周りでコバエが飛んでるのが目立ってきました。

使用済みの皿とか生ゴミとか放置してるわけでもないんだけど、どこからかやってきて、不思議なほど増えるんですよね…

ショウジョウバエってやつなんでしょうか。調べると直接の害はないっぽいけど、飛び回られると不快だし、卵を産み付けられた食べ物を食べちゃったりすると腹痛の原因になることもあるらしい。

誘引剤で捕獲するトラップを置いてみたけど、そんなに効果を感じない…

そんな時に、ドラッグストアでこんなものを見つけて、購入しました。

ランタンにもなる卓上誘蛾灯、みたいなやつ。

これを起動してキッチンに置いておいたら、結構強い音で「バチ!」と鳴るんですよね。で、見るとコバエが下でお亡くなりになっている。

夜中に点けっぱなしにしておいたら、翌朝十匹くらい落ちてました…効果凄い…というかそんなにいたのかコバエ…

僕は子供の頃から虫がとっても苦手で、害がない種類でも恐怖の対象でした。

害があるやつは特にダメで、小学生の頃に夏休みの朝ラジオ体操で謎の虫に足を刺され、異常に腫れてまともに歩けなくなった記憶もあります。

見た目が受け付けないってのもあるし、何より、「相手も命を持ってる」というのがつらいんですよね。

「一寸の虫にも五分の魂」という言葉がありますが、まあ言いたいことは分かるんですが、この言葉嫌いなんです。誰が最初に言ったの?

この言葉を振りかざす人は、本当に一匹も虫を殺したことがないのか、と問いたい。
虫を殺す時に人を殺すのと同じような恐怖と罪悪感を抱いてその魂と向き合っているのか、と問い詰めたい。
意図した殺虫でなくても、例えば道を歩いている時とかにも、足元の全ての虫を踏みつぶさないように細心の注意を払っているのか、踏んでしまった時にどうしているのか、確認したい。

この言葉が伝えたい意図はもちろん分かります。

一匹の小さな虫にも、我々と同じように命を持っているのです、なので無暗に殺さないようにしましょうね。

ということですよね、きっと。違ったらすみません。

子供の頃に僕が虫を殺した時に、親戚のおばさんから殊勝な表情でこの言葉を言われて以来、僕は虫の命や魂というものを考え続けてきました。

とはいえ僕はブッダとは違う。全ての虫を殺さずに生きるなんてことはできない。(ブッダが虫を殺してないかは知りませんが…)

虫を殺す時に僕は、自分が生まれ変わった時にこの虫になってたらどうだろう、と考えてしまいます。

僕はもともとは人間だったんだ、聞いてくれ、助けてくれ、と訴えても、人間にその声が届くはずもなく、叩き潰される。薬で殺される。水で暗い排水溝に流される。

そんな風に考えると恐ろしくて仕方ありません。

中学生の頃、実家のお風呂場になぜか大量の羽虫が発生した時がありました。
シャワーを浴びている時とかにも飛んでくるので、シャワーをかけて応戦していました。
きっと、無数の命も、生まれるはずだった命(卵)も、僕は殺したんだと思います。
(その頃この経験から「殺虫鬼」というやばい詩を書きました)

大学生の頃に心がちょっと病んでいた時、部屋に出た蚊をスプレーで仕留めました。
蚊は床に落ちた後も暫くもがいていて、生きることにしがみつこうとしている。
ただ生きて、この世に遺伝子を残そうとしているだけなのに、この虫はどうして殺されなければならないのか。
僕はこれまでどれだけの虫を殺してきて、どれだけ深い罪を背負っているのか…。
動物は食べて命を繋ぐために他の命を奪う。でも人間は命のためではなく命を奪う。
それなら、僕はこの蚊を食べれば、殺虫の罪も軽くなるのだろうか…。

そんなことを本気で考えて落ち込んでいました。(もちろん食べなかったけど!)

今は当時ほど深刻には考えていませんが、虫の持つ命の重さについて考えることは変わりません。

家に侵入してきた虫は、極力プラコップとかで捕獲して外に逃がすようにはしていますが、そうもいかないことも多いですよね。

ゴk…Gなんかは大きいから、スプレーで殺してしまったことの罪悪感もずしんと心に響きます。そのショックは何日かひきずります。
(いま住んでいる家ではまだGが出たことがないのは救い)
(ゲジゲジとかも衝撃的な見た目だし、すぐに脚が取れて、ショッキングですよね…)

最近出るコバエも、テーブルに止まっていたら叩きますが、叩いた後によく見ると、成虫のそばにすごく小さな赤ちゃんみたいな虫が歩いていることがあるんですよね…

そうなるともう、平伏して「ごめんなさい」と泣いて謝りたくなります。

人間の棲み家に来るのではなく、自然界で幸せに生きていてくれればいいのに…

…とまあ、そういう歪んだ価値観を持ってしまっているので、効果バツグンな電撃殺虫機にも、罪悪感が生まれるんですよね…

とはいえ快適な共生もできないし…

だから虫が苦手、という話でした。オチはありません。

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久しぶりの日記なので、作家としての活動状況も書きます。

今年はまだ本を出せていませんが、以前から推してくださっていた日向坂46の小坂菜緒さんが、『逢う日、花咲く。』に推薦文も書いてくださり、新帯で三月に重版されました。

小坂さんのブログでも触れていただいています。

本当にありがとうございます。とても嬉しかったです。

この推薦文の件で、出版社から小坂さんに青海野の既刊をお贈りする機会があったので、前々から実現したいと思っていたけどできなかった「小坂さんにサイン本を贈る」も実現できました。

(虫の話と一緒に載せる話題じゃなかった…。本当はこの話題だけで日記を一本書くべきでしたが、今更になってしまったので…。すみません…)

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あと、詳細はまだ書けませんが、今年中には一冊予定していて、他にも平行して進行しているものがいくつかあります。

最近書き上った物語は、自分でもとっても手応えを感じていて、早く世に出したい思いでいっぱいです。公開がいつになるか分かりませんが、待っていて頂ければと思います。
(本って出るまでに長い時間がかかるんですよね…)

それではまた。

次のブログがいつになるか分かりませんが、何かあれば気軽に書きます!

『逢う日、花咲く。』で第25回電撃小説大賞を受賞し、デビュー。著書は他に『明けない夜のフラグメンツ』『世界の終わりとヒマワリとゼファー』『君を、死んでも忘れない』『この星で君と生きるための幾億の理由』『あの日見た流星、君と死ぬための願い』

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